2010年01月12日

塩分取りすぎ要介助の危険…厚労省研究班調査(読売新聞)

 食塩を多く摂取する人ほど、年齢を重ねてから身の回りの動作に介助が必要になる危険性が高いことが、厚生労働省研究班(代表=上島弘嗣・滋賀医科大学名誉教授)の調査でわかった。

 食塩の摂取量と介助の必要性の関係を明らかにした研究は、これが初めてだ。

 研究班は、1980年の国民栄養調査のデータをもとに、心血管疾病や高血圧の既往症のない当時52〜64歳の男女1510人の食塩摂取量を推定。それから14年後の94年の時点の生活動作を調査して、〈1〉排せつ〈2〉衣服の着脱〈3〉入浴〈4〉食事〈5〉歩行――のいずれかが1人でできない場合を、「介助が必要」として分析した。

 食塩の摂取量は、男性が1日平均16・6グラム、女性が同13・9グラムで、介助が必要だったのは53人だった。食塩の摂取量が、男性で1日5・7グラム、女性で同4・5グラム増えるごとに、介助が必要となる危険性は25%ずつ増していた。逆に、野菜などに含まれるカリウムを多く摂取するほど、日常動作の悪化を防ぐ効果があった。

 食塩と高血圧の関係は知られているが、実際に介助が必要になる人がどれだけいるかは、はっきりしていなかった。

 三浦克之・滋賀医大教授は、「家庭の調味料から摂取する食塩は3割ほどで、外食や加工食品から知らず知らずに食塩を摂取している。意識して食塩の摂取を減らすことが、将来の生活の質を維持するためにも大切だ」と話している。

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<鳩山首相>国家戦略担当相ポスト 新たな人員補充を示唆(毎日新聞)

 鳩山由紀夫首相は7日夜、藤井裕久前財務相の辞任に伴って一つ空いた閣僚ポストの補充について「仕事の量が増えた時に必要に応じて考えていきたい」と述べ、現在の国家戦略室を「局」に格上げする政治主導確立法案が成立する4月以降に実施する可能性を示唆した。首相官邸で記者団に語った。

 今回の人事では、菅直人副総理兼財務相が兼務していた国家戦略担当相を仙谷由人行政刷新担当相が兼務することになり、「過重負担」と指摘されている。鳩山首相の発言は、国家戦略室の「局」への格上げで業務量が増えれば仙谷氏の兼務を解き、業務量や内容に応じて新たな人員を補充する可能性を示したものだ。

 平野博文官房長官も同日の記者会見で「通常国会で政治主導を進める法的対応をするのと合わせ、首相の考えの中にあるかも分からない」と述べ、政治主導確立法案成立後の閣僚補充に含みを残した。【西田進一郎】

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【ゆうゆうLife】病と生きる 元ボクサー、俳優 赤井英和さん(50)(産経新聞)

 ■突然引退…すさんだ心 仲間に支えられて転身 

 「浪速のロッキー」と親しまれ、この試合に勝てば世界戦というタイトルマッチで、プロボクサーだった赤井英和さんはリングに倒れた。頭部にパンチを受け、脳挫傷、硬膜下血腫で重体。一命を取りとめ、入院生活はリハビリに励んだが、診断は引退勧告だった。「復帰を目指したからこそ、回復も早かったと思う」。俳優に転身するまでの日々をふり返った。(文 牛田久美)

  [フォト]娘も芸能界入り!赤井沙希、K−1イメージガールで魂継承!?

 いつか引退するとは分かっていたけれど、その日はあまりにも急にやってきた。ベッドの上で目覚めたとき、全く記憶がありませんでした。

 昭和60年2月5日。開頭手術の翌朝、「お前はけがをしたんや」と聞き、心の中で復帰を誓いました。布団の中で腕を上げたり足をねじったり。練習して、試合して、「世界タイトルつかんだんねん」とリハビリに励みました。青春の日々が途切れるなんて夢にも思いませんでした。

 「2度とボクシングはできない」−。お世話になった大阪市浪速区の富永脳神経外科病院で院長に告げられたのは3月30日、退院の当日。「えええ?」 わが耳を疑ったまま記者会見に臨んだのです。

 《翌朝刊には、「ロッキー退院 後遺症はなし」「うれしい春の訪れ」など、明るい見出しが各紙に踊った》

 しばらくは、通院が“仕事”でした。半年後、母校の近畿大が「ボクシング部のコーチにならへんか」と声をかけてくれました。エディ・タウンゼント(トレーナー)から受けた世界レベルのテクニックを伝え、みんな頑張ってくれて大学王座に2度も輝きました。うれし涙も悔し涙も一緒に流せる。けれども、帰宅すると何とも言えない寂しさがこみ上げてきました。

 心は一体でも、ライトが当たるのは選手。行き場のない思いに心はすさみました。酒に浸る日々に家族は去り、ファイトマネーの貯蓄で慰謝料を払い…。引退式をしてくれたリングでは、同時に世界王者決定戦が行われ、(赤井にあこがれて入門した)後輩の井岡弘樹が勝ちました。うれしかった。帰宅して朝飯を食い、延々と酒を飲みました。何か分からへんかったけれど寂しかったんだなあ。

 転機は、自伝『浪速のロッキーのどついたるねん』(講談社)の刊行でした。それを読んだ阪本順治助監督(当時)が「映画化したい」「赤井くんが赤井を演ずるんや」と、情熱的に映画の内容を語ってくださったのです。これで生き返らんことには死んでしまうんやないかと、必死で取り組みました。84キロを超えた体重を、ビタミン剤だけで66・5キロまで落としました。同時にせりふを覚える。映画「どついたるねん」は手術日と同じ2月5日にクランクイン。見ることやること初めてで、「今の5倍怒れ」「はいっ」と、ひたすら阪本監督の指示に従いました。監督は忘れられない恩人です。

 ボクシングという素晴らしいスポーツは、今やから言えるねんけども、イメージは良いものがずっと残る。命を削ることもあるスポーツで、僕はすべての試合を覚えています。でも、あの日の試合はいまだに記憶がありません。控室からリングへ、直前まですべて覚えているのに、ゴングが鳴ったあとの二十数分間の記憶がないのです。

 7ラウンドのゴングから2分48秒後、ぼくは倒れた。それはきっかけではあったけれど、もっと早く脳内出血が始まっていたと主治医から言われました。1ラウンド、2ラウンドと…と無意識に闘っていたのですね。医師からは「潜在的に嫌なことは忘れるもの。いつかまたふと思いだしますよ」と言われて、安心しているのですけれど。

 ぼくがはっきりと言えるのは、ここまで来られたのは、あの事故の前も後も変わらず支えてくれた仲間のおかげだということです。

【プロフィル】赤井英和

 あかい・ひでかず 昭和34年8月17日、大阪市生まれ。近畿大在学中、冷戦下のモスクワ五輪ボイコットで出場を断念。プロボクサーになり、12連続KO勝ちの日本記録(当時)を樹立した。プロの戦績は21戦19勝2敗(16KO)。平成元年、映画「どついたるねん」で俳優へ転身。ウルトラマンシリーズ出演などで人気を集めている。

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